熊本県は、財政再建のため245人いる臨時職員を大幅に削減する方針だったが、一時凍結も視野に再検討に入った。雇用環境の悪化を受け、蒲島郁夫知事は「行政が雇用を減らすのは情として忍びない」との意向を示していた。
県の臨時職員は事務補助などが主な業務。各部局ごとに募集し、契約期間は最長6カ月。県は昨年9月、大幅削減の方針を打ち出し、11月には臨時職員採用枠を約20人に減らし、専門性の高い約30人を雇用1年の非常勤職員に変えて約3億円を節減する方向に決めていた。
しかし、雇用環境悪化を受けて再検討に入った。県税徴収のための非常勤職員を採用したり、節減される約3億円で新たな雇用創出策を模索したりする案も含めて検討する。09年度予算案の知事査定がある2月上旬までに決める見通し。
水俣病未認定患者の救済問題で15日、原因企業のチッソの後藤舜吉会長が与党プロジェクトチーム(PT)の救済案を受け入れる意向をPT座長を務める園田博之・自民党政調会長代理に伝えていたことがわかった。チッソが求めてきた事業部門と補償部門とを切り離す分社化で立法措置をとることが条件とされる。
チッソの受け入れ拒否で足踏みが続いていた救済策が再び動き出すことになる。ただ、被害者団体などには「分社化は原因企業を消滅させるものだ」との反発も根強く、調整が難航することも予想される。
園田氏が15日、後藤会長と年明けに会談したことを明らかにし、「被害者団体の了解を得ないといけないが、前進した」と述べた。最後まで補償に責任を持つことが分社化の前提と確認したという。後藤会長も取材に対し、「分社化と並行して解決をめざすことで話をした」と話した。
PTは07年10月、四肢末梢(まっしょう)優位の感覚障害がある人に一時金150万円、療養手当月1万円を支給する新たな救済案を決定。チッソ側は「全面解決につながらず、対象人数がどれくらいになるかもわからない」として難色を示す一方、液晶・電子部品などの事業部門を子会社化し、子会社の株の売却益を補償に充てるための税優遇を条件に受け入れることも示唆していた。
15日には、蒲島郁夫・熊本県知事と伊藤祐一郎・鹿児島県知事が早期解決を求めて自民党本部で園田氏と会談し、「分社化で原因企業がなくなり、県に負担が回る懸念を払拭(ふっしょく)してほしい」と要望。園田氏は「(PTとチッソとの)認識はかけ離れていない。県に迷惑はかけない。早期に解決を進める」と応じた。
与党PTは、チッソの分社化に伴う税優遇などを盛り込んだ特別措置法案を提出する構えだが、民主党の対応が定まっていないなど先行きは不透明だ。
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新たな経済対策として
Fri 23 Jan’09
自民、民主両党は18日、それぞれ党大会を都内で開き、年内に行われる次期衆院選での勝利に向け、政策や党組織の強化を進める方針を打ち出した。
麻生首相(自民党総裁)は演説で、「経済危機にきちんと対応策が示せるのは、数ある政党の中で自民党しかありえない。先頭に立って(衆院)選挙、景気対策、不況克服に向けて全力を挙げる」と述べた。消費税については、「大胆な行政改革が大前提だ」としながら、経済好転などを前提に2011年度から税率を引き上げる意向を改めて強調した。
民主党の小沢代表はあいさつで、「国の仕組みを根本的に変え、新しい日本を作る。それ以外に国民生活を救う方法はない。命と暮らしを守る新しい政権を樹立することを約束する」と語った。景気・雇用対策として「環境のニューディール」「安全・安心のニューディール」を打ち出し、衆院選の政権公約(マニフェスト)に盛り込む考えを表明した。太陽光発電に必要なソーラーパネルの全建物への設置や小中学校の全校舎の耐震化が柱となる。
民主党は、政権をうかがう以上、もう少し説得力のある政策を示し、国民の積極的な支持を広げることが重要だ。
民主党が18日、定期党大会を開き、小沢代表は「国民とともに歩み、『国民の命と暮らしを守る新しい政権』を樹立する」と政権交代への決意を表明した。
民主党への世論調査の支持率は最近、自民党とほぼ拮抗(きっこう)するほど高い。だが、その理由を、民主党の政治姿勢や政策に対する国民の肯定的な評価によるもの、と考えるのは早計だろう。
定額給付金に代表される自民党の迷走や麻生首相の失言に対する批判に起因する消極的支持が多い、と見るべきではないか。
今月の読売新聞調査でも、民主党が景気対策で有効な対案を示している、と考える人は20%にすぎず、そう考えないとの回答が67%と圧倒的に多かった。
民主党が次期衆院選で政権交代を目指すなら、単なる人気取りでなく、国民が信頼できる政策を選択肢として明示し、政権担当能力を示す必要がある。
小沢代表は党大会で、新たな経済対策として、太陽光発電パネルの普及など「環境」と、小中学校校舎や病院の耐震化など「安全・安心」という二つの「ニューディール政策」を提唱した。
早急に具体的な内容を詰め、政権公約(マニフェスト)などの形にまとめるべきだろう。
昨年10月には、子ども手当など政権公約の実現に必要な財源を4年間で総額56・9兆円と試算し、その内訳の概要を示したが、財源の根拠は不明確なままだった。今後、さらに議論を深め、説得力を持つ公約に改めてもらいたい。
民主党が採択した2009年度活動方針は、「平和と環境を軸とした主体的・積極的外交の展開により国際社会の信頼と友好を勝ち取る」と強調する。だが、日本外交の基軸である日米関係を一体どうするのか、疑問がある。
民主党は、インド洋での海上自衛隊の給油活動の中止を求めるとともに、海兵隊普天間飛行場の移設合意の見直しや日米地位協定の改定を主張する。在日米軍駐留経費の特別協定にも反対した。
いずれも日米同盟の根幹にかかわる問題だ。対応次第では、日米関係を大きく損ないかねない。
活動方針の「主体的・積極的外交」とは何を意味するのか。徹底した党内論議が不可欠だ。党内の足並みを乱さないことだけを優先し、論議を回避し続けるようでは、責任政党とは言えまい。
麻生首相(自民党総裁)は演説で、「経済危機にきちんと対応策が示せるのは、数ある政党の中で自民党しかありえない。先頭に立って(衆院)選挙、景気対策、不況克服に向けて全力を挙げる」と述べた。消費税については、「大胆な行政改革が大前提だ」としながら、経済好転などを前提に2011年度から税率を引き上げる意向を改めて強調した。
民主党の小沢代表はあいさつで、「国の仕組みを根本的に変え、新しい日本を作る。それ以外に国民生活を救う方法はない。命と暮らしを守る新しい政権を樹立することを約束する」と語った。景気・雇用対策として「環境のニューディール」「安全・安心のニューディール」を打ち出し、衆院選の政権公約(マニフェスト)に盛り込む考えを表明した。太陽光発電に必要なソーラーパネルの全建物への設置や小中学校の全校舎の耐震化が柱となる。
民主党は、政権をうかがう以上、もう少し説得力のある政策を示し、国民の積極的な支持を広げることが重要だ。
民主党が18日、定期党大会を開き、小沢代表は「国民とともに歩み、『国民の命と暮らしを守る新しい政権』を樹立する」と政権交代への決意を表明した。
民主党への世論調査の支持率は最近、自民党とほぼ拮抗(きっこう)するほど高い。だが、その理由を、民主党の政治姿勢や政策に対する国民の肯定的な評価によるもの、と考えるのは早計だろう。
定額給付金に代表される自民党の迷走や麻生首相の失言に対する批判に起因する消極的支持が多い、と見るべきではないか。
今月の読売新聞調査でも、民主党が景気対策で有効な対案を示している、と考える人は20%にすぎず、そう考えないとの回答が67%と圧倒的に多かった。
民主党が次期衆院選で政権交代を目指すなら、単なる人気取りでなく、国民が信頼できる政策を選択肢として明示し、政権担当能力を示す必要がある。
小沢代表は党大会で、新たな経済対策として、太陽光発電パネルの普及など「環境」と、小中学校校舎や病院の耐震化など「安全・安心」という二つの「ニューディール政策」を提唱した。
早急に具体的な内容を詰め、政権公約(マニフェスト)などの形にまとめるべきだろう。
昨年10月には、子ども手当など政権公約の実現に必要な財源を4年間で総額56・9兆円と試算し、その内訳の概要を示したが、財源の根拠は不明確なままだった。今後、さらに議論を深め、説得力を持つ公約に改めてもらいたい。
民主党が採択した2009年度活動方針は、「平和と環境を軸とした主体的・積極的外交の展開により国際社会の信頼と友好を勝ち取る」と強調する。だが、日本外交の基軸である日米関係を一体どうするのか、疑問がある。
民主党は、インド洋での海上自衛隊の給油活動の中止を求めるとともに、海兵隊普天間飛行場の移設合意の見直しや日米地位協定の改定を主張する。在日米軍駐留経費の特別協定にも反対した。
いずれも日米同盟の根幹にかかわる問題だ。対応次第では、日米関係を大きく損ないかねない。
活動方針の「主体的・積極的外交」とは何を意味するのか。徹底した党内論議が不可欠だ。党内の足並みを乱さないことだけを優先し、論議を回避し続けるようでは、責任政党とは言えまい。
— posted by サイト管理者 at 02:26 pm
規制緩和が認められても
Sat 10 Jan’09
「どれも同じような内容ばかり。期待していたのにがっかりだ」
「自治体にカジノ運営を認めるとか大胆な取り組みはできないのか」
3月28日朝、自民党本部で開かれた内閣部会の会合では、議員らから不満の声が相次いだ。規制の枠を越えて地方のユニークな試みを実現するはずの「構造改革特区」。その理想とは異なり、制度が行き詰まりを見せているという声が広がっている。
小泉純一郎首相の掛け声の下で「構造改革特区推進本部」が設置されたのは2002年7月。この制度は、ある地域だけ特別に国の規制を外して独自の試みができるようにして、問題がなければ全国に広げるというもの。遅々として進まなかった規制緩和のアイデアを例外的に地域限定で実施に移し、監督権限を持つ省庁の抵抗という厚い壁をこじ開ける「実験場」だった。
「株式会社の農地借り上げ」「幼稚園・保育所児童の合同活動」――。特区での成果を錦の御旗にして、全国に普及していったケースは少なくない。
全国各地からは今も新たな提案が次々と寄せられている。東京・虎ノ門にある構造改革特区推進室には、とっておきのアイデアを抱えた市町村長らがひっきりなしに訪れる。例えば「カジノ特区」以外にも「ディスコの終夜営業を認める特区」、「安楽死を認める特区」など斬新な提案が寄せられる。
ただ「特区のおかげで風穴を開けた規制改革案件はだいたい一巡した」(特区推進室)のも事実だ。当初の目的が達成されるに伴って、制度の行き違いを指摘する声も増えてきた。
例えば、昆虫を育てて無償で配るために家畜排せつ物の野積みを認める「カブトムシ特区」。排せつ物の野ざらしを禁止する法律の施行に困った福岡県の酪農家が申請し認められたが、当人も「費用負担が大きい。全国展開が決まっても、私以外に利用者はいないのでは」と話す。
規制緩和が認められても、内容に問題があるためほとんど利用されないケースも目立つ。「株式会社の病院経営」は特区として認められたが、再生医療や遺伝子治療など健康保険が適用されない高度先端医療しかできない。このため現在まで特区を利用して病院を開業した株式会社は一例もない。「非営利組織(NPO)による学校設置」も11の自治体が要望したが、特区での規制緩和が認められても利用はゼロ。私学助成の対象に認められなかったからだ。
ある自民党議員は、特区制度の「威光」を取り戻すために「提案を実行に移す政治決断が必要だ」と力を込める。地方は「実験なんだから、提案をすべて認めるべきだ」と強く要望するが、「世論を2分するような、認定しにくい提案」(特区推進室)が多いのも事実だ。
確かに「安楽死特区」は難しいかもしれない。だが「カジノ特区」や「ディスコ特区」ならば、試験的に実施する価値があるのではないか。全国展開が難しい提案を実験してこそ、特区の存在が生きてくる。
実施例の少ない特区のテコ入れももっと積極的に考えてはどうか。構造改革特区法は「特例措置の適用状況を調査し、必要な措置を講ずる」と規定する。総務省の行政評価局が未利用特区の実態を評価しているものの、特区利用を促す改善につながったケースは皆無だ。省庁などの抵抗で「骨抜き」になった特区は条件を改善し、実際に試してみなければ認定した意味がない。構造改革特区制度の可能性は、まだ残っているはずだ。
「自治体にカジノ運営を認めるとか大胆な取り組みはできないのか」
3月28日朝、自民党本部で開かれた内閣部会の会合では、議員らから不満の声が相次いだ。規制の枠を越えて地方のユニークな試みを実現するはずの「構造改革特区」。その理想とは異なり、制度が行き詰まりを見せているという声が広がっている。
小泉純一郎首相の掛け声の下で「構造改革特区推進本部」が設置されたのは2002年7月。この制度は、ある地域だけ特別に国の規制を外して独自の試みができるようにして、問題がなければ全国に広げるというもの。遅々として進まなかった規制緩和のアイデアを例外的に地域限定で実施に移し、監督権限を持つ省庁の抵抗という厚い壁をこじ開ける「実験場」だった。
「株式会社の農地借り上げ」「幼稚園・保育所児童の合同活動」――。特区での成果を錦の御旗にして、全国に普及していったケースは少なくない。
全国各地からは今も新たな提案が次々と寄せられている。東京・虎ノ門にある構造改革特区推進室には、とっておきのアイデアを抱えた市町村長らがひっきりなしに訪れる。例えば「カジノ特区」以外にも「ディスコの終夜営業を認める特区」、「安楽死を認める特区」など斬新な提案が寄せられる。
ただ「特区のおかげで風穴を開けた規制改革案件はだいたい一巡した」(特区推進室)のも事実だ。当初の目的が達成されるに伴って、制度の行き違いを指摘する声も増えてきた。
例えば、昆虫を育てて無償で配るために家畜排せつ物の野積みを認める「カブトムシ特区」。排せつ物の野ざらしを禁止する法律の施行に困った福岡県の酪農家が申請し認められたが、当人も「費用負担が大きい。全国展開が決まっても、私以外に利用者はいないのでは」と話す。
規制緩和が認められても、内容に問題があるためほとんど利用されないケースも目立つ。「株式会社の病院経営」は特区として認められたが、再生医療や遺伝子治療など健康保険が適用されない高度先端医療しかできない。このため現在まで特区を利用して病院を開業した株式会社は一例もない。「非営利組織(NPO)による学校設置」も11の自治体が要望したが、特区での規制緩和が認められても利用はゼロ。私学助成の対象に認められなかったからだ。
ある自民党議員は、特区制度の「威光」を取り戻すために「提案を実行に移す政治決断が必要だ」と力を込める。地方は「実験なんだから、提案をすべて認めるべきだ」と強く要望するが、「世論を2分するような、認定しにくい提案」(特区推進室)が多いのも事実だ。
確かに「安楽死特区」は難しいかもしれない。だが「カジノ特区」や「ディスコ特区」ならば、試験的に実施する価値があるのではないか。全国展開が難しい提案を実験してこそ、特区の存在が生きてくる。
実施例の少ない特区のテコ入れももっと積極的に考えてはどうか。構造改革特区法は「特例措置の適用状況を調査し、必要な措置を講ずる」と規定する。総務省の行政評価局が未利用特区の実態を評価しているものの、特区利用を促す改善につながったケースは皆無だ。省庁などの抵抗で「骨抜き」になった特区は条件を改善し、実際に試してみなければ認定した意味がない。構造改革特区制度の可能性は、まだ残っているはずだ。
— posted by サイト管理者 at 03:30 pm
根子岳のギザギサ頭
Mon 29 Dec’08
火砕流台地の範囲
9万年前の巨大カルデラ噴火による噴出物は600km³(ほぼ富士山の山体全部の大きさ)以上に達し、火砕流は九州の半分を覆ったと推定されている。特に厚く堆積した地域では火砕流台地となって残っている。この台地は九州中央部に広く分布し、緩やかに波打つ平原を形作っている。周辺自治体の宮崎県西臼杵郡高千穂町や大分県竹田市などもその中に入る。
[編集] 歴史
[編集] 先阿蘇火山群
30万年以上前に現在の外輪山などを形成している火山群の活動があった。
[編集] 巨大カルデラ噴火
約30万年前から9万年前までに大規模な噴火が4回 (Aso1-4) あった。地下から大量の火砕流や火山灰を放出したため、巨大な窪地(カルデラ)が形成された。その中でも4回目の噴火 (Aso4) が最も大きく、火砕流は九州中央部を覆い一部は海を越え山口県にまで達し、火山灰は北海道に至る日本全土の他朝鮮半島でも確認されている。Aso4の火山灰でできた地層を見つければ、9万年前の地層であることがはっきり分かるため、植物学、考古学など様々な研究で時代を示す指標として使われている。
[編集] 中央火口丘群
高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳は、上記4回目の巨大カルデラ噴火後に活動した火山。中岳は現在でも活火山として活動中。根子岳は4回目の巨大カルデラ噴火よりも古いと推定されている。
[編集] 有史以後
カルデラ内は湧き水が豊富で平坦な地形が続いているため、農業生産に適していた。古くから人が住み、集落を形成していた。7世紀の中国の歴史書『隋書』にも「阿蘇山」の名が見え、火を噴き上げる山として知られていた。
阿蘇市一の宮町にある阿蘇神社は肥後国一宮としての格式を持ち、その宮司の阿蘇氏は古代の国造の子孫で現在まで世襲されている。
修験道の山としても栄え、火口から1km離れた古坊中を中心に「三十六坊五十二庵」を云われる坊舎が立ち並び、これを基として西巌殿寺が成立した。
[編集] 温泉
阿蘇山は巨大な火山ゆえに、その周辺はたくさんの温泉に恵まれている。阿蘇くじゅう国立公園に属し、カルデラ内には阿蘇内牧温泉や阿蘇赤水温泉の温泉街があり、烏帽子岳周辺には垂玉温泉や地獄温泉などの一軒宿がある。外輪山北の南小国町には、黒川温泉などのたくさんの温泉が湧出しており、国民保養温泉地にも指定されている。
[編集] 近年の噴火活動と火口の状況
中岳の第一火口は常時TVモニターで監視されている。また近年二酸化硫黄濃度もリアルタイムで測定され、危険濃度になった場合、観光目的での火口周囲への立ち入りが制限される。制限区画は細かく分けられ、二酸化硫黄濃度によって毎日変更される。
中岳の噴火活動は、非常にパターン化されており、以下のサイクルを繰り返している。
噴火→噴火の沈静化→カルデラ湖形成→カルデラ湖の消失→噴火孔の形成→噴火孔の赤熱現象→噴火
これにより噴火の予測が非常に容易であり、そのことより火口間際までの大量の観光客の誘導が可能になった。しかしながら昭和時代には、不適切な時期での観光がなされたため、噴火により火山弾が命中し、観光客に死者が出ている。(1979年9月6日に阿蘇第一火口が爆発した際に死者3人・負傷者11人)
[編集] 観光
最近ではアジア方面の国外からの観光客が増えている。以前は火口まで自家用車で乗り入れることは出来なかったが、最近駐車場が整備され火口まで徒歩1分というところまで自家用車で行くことが出来る。またロープウエイも整備されている。草千里では乗馬も行われている他、山麓では複数のキャンプ場もある。
[編集] 伝説
[編集] 根子岳のギザギサ頭
高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳そして末っ子の根子岳は誰が一番早く高くなれるか競っていた。結果、根子岳が長男の高岳さえも追い抜いて一番高くなった。しかし、それは鬼たちに阿蘇の国で自由に暴れさせる代わりに、竹田から土を運んで自分の頭に積ませたからだった。これを知った阿蘇大明神は激怒し、根子岳の頭をピシャリピシャリと何度も叩いた。そのおかげで根子岳の頭はギザキザになってしまった。
[編集] 肥後国の猫
肥後国の猫は7歳になると根子岳へ修行に来るという。そして人に化けて迷った旅人をおびき寄せ、散々振る舞った後、寝ている隙に食べるそうだ。
[編集] 火口瀬
大昔の阿蘇は外輪山に切れ目が無く、その中には水がたまって広大なカルデラ湖になっていた。健磐龍命(タケイワタツノミコト、阿蘇大明神)はこの水を無くして田畑を造ろうと考えた。そこで、外輪山の一部を蹴破ることにした。一度目に挑戦した場所はなかなか蹴破れない。というのもその場所は山が二重になっていているからで、以後「二重(ふたえ)ノ峠」と呼ばれるようになった。別の場所で再挑戦すると今度は見事に蹴破ることができた。しかし、そのはずみで健磐龍は尻餅をついてしまって「立てぬ!」と叫んだ。以後その場所は「立野(たての)」と呼ばれるようになった。
また蹴破った場所からは大量の水が流れ出し滝となり、数匹の鹿も流されたことから、以後「数鹿流(すがる)が滝」と呼ばれるようになった。湖水が引いてくると底から巨大なナマズが現れた。ナマズが湖水をせき止めていたため、健磐龍は太刀でナマズを切り、ようやく湖水は流れ去ったという。
作業にかかってください。
9万年前の巨大カルデラ噴火による噴出物は600km³(ほぼ富士山の山体全部の大きさ)以上に達し、火砕流は九州の半分を覆ったと推定されている。特に厚く堆積した地域では火砕流台地となって残っている。この台地は九州中央部に広く分布し、緩やかに波打つ平原を形作っている。周辺自治体の宮崎県西臼杵郡高千穂町や大分県竹田市などもその中に入る。
[編集] 歴史
[編集] 先阿蘇火山群
30万年以上前に現在の外輪山などを形成している火山群の活動があった。
[編集] 巨大カルデラ噴火
約30万年前から9万年前までに大規模な噴火が4回 (Aso1-4) あった。地下から大量の火砕流や火山灰を放出したため、巨大な窪地(カルデラ)が形成された。その中でも4回目の噴火 (Aso4) が最も大きく、火砕流は九州中央部を覆い一部は海を越え山口県にまで達し、火山灰は北海道に至る日本全土の他朝鮮半島でも確認されている。Aso4の火山灰でできた地層を見つければ、9万年前の地層であることがはっきり分かるため、植物学、考古学など様々な研究で時代を示す指標として使われている。
[編集] 中央火口丘群
高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳は、上記4回目の巨大カルデラ噴火後に活動した火山。中岳は現在でも活火山として活動中。根子岳は4回目の巨大カルデラ噴火よりも古いと推定されている。
[編集] 有史以後
カルデラ内は湧き水が豊富で平坦な地形が続いているため、農業生産に適していた。古くから人が住み、集落を形成していた。7世紀の中国の歴史書『隋書』にも「阿蘇山」の名が見え、火を噴き上げる山として知られていた。
阿蘇市一の宮町にある阿蘇神社は肥後国一宮としての格式を持ち、その宮司の阿蘇氏は古代の国造の子孫で現在まで世襲されている。
修験道の山としても栄え、火口から1km離れた古坊中を中心に「三十六坊五十二庵」を云われる坊舎が立ち並び、これを基として西巌殿寺が成立した。
[編集] 温泉
阿蘇山は巨大な火山ゆえに、その周辺はたくさんの温泉に恵まれている。阿蘇くじゅう国立公園に属し、カルデラ内には阿蘇内牧温泉や阿蘇赤水温泉の温泉街があり、烏帽子岳周辺には垂玉温泉や地獄温泉などの一軒宿がある。外輪山北の南小国町には、黒川温泉などのたくさんの温泉が湧出しており、国民保養温泉地にも指定されている。
[編集] 近年の噴火活動と火口の状況
中岳の第一火口は常時TVモニターで監視されている。また近年二酸化硫黄濃度もリアルタイムで測定され、危険濃度になった場合、観光目的での火口周囲への立ち入りが制限される。制限区画は細かく分けられ、二酸化硫黄濃度によって毎日変更される。
中岳の噴火活動は、非常にパターン化されており、以下のサイクルを繰り返している。
噴火→噴火の沈静化→カルデラ湖形成→カルデラ湖の消失→噴火孔の形成→噴火孔の赤熱現象→噴火
これにより噴火の予測が非常に容易であり、そのことより火口間際までの大量の観光客の誘導が可能になった。しかしながら昭和時代には、不適切な時期での観光がなされたため、噴火により火山弾が命中し、観光客に死者が出ている。(1979年9月6日に阿蘇第一火口が爆発した際に死者3人・負傷者11人)
[編集] 観光
最近ではアジア方面の国外からの観光客が増えている。以前は火口まで自家用車で乗り入れることは出来なかったが、最近駐車場が整備され火口まで徒歩1分というところまで自家用車で行くことが出来る。またロープウエイも整備されている。草千里では乗馬も行われている他、山麓では複数のキャンプ場もある。
[編集] 伝説
[編集] 根子岳のギザギサ頭
高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳そして末っ子の根子岳は誰が一番早く高くなれるか競っていた。結果、根子岳が長男の高岳さえも追い抜いて一番高くなった。しかし、それは鬼たちに阿蘇の国で自由に暴れさせる代わりに、竹田から土を運んで自分の頭に積ませたからだった。これを知った阿蘇大明神は激怒し、根子岳の頭をピシャリピシャリと何度も叩いた。そのおかげで根子岳の頭はギザキザになってしまった。
[編集] 肥後国の猫
肥後国の猫は7歳になると根子岳へ修行に来るという。そして人に化けて迷った旅人をおびき寄せ、散々振る舞った後、寝ている隙に食べるそうだ。
[編集] 火口瀬
大昔の阿蘇は外輪山に切れ目が無く、その中には水がたまって広大なカルデラ湖になっていた。健磐龍命(タケイワタツノミコト、阿蘇大明神)はこの水を無くして田畑を造ろうと考えた。そこで、外輪山の一部を蹴破ることにした。一度目に挑戦した場所はなかなか蹴破れない。というのもその場所は山が二重になっていているからで、以後「二重(ふたえ)ノ峠」と呼ばれるようになった。別の場所で再挑戦すると今度は見事に蹴破ることができた。しかし、そのはずみで健磐龍は尻餅をついてしまって「立てぬ!」と叫んだ。以後その場所は「立野(たての)」と呼ばれるようになった。
また蹴破った場所からは大量の水が流れ出し滝となり、数匹の鹿も流されたことから、以後「数鹿流(すがる)が滝」と呼ばれるようになった。湖水が引いてくると底から巨大なナマズが現れた。ナマズが湖水をせき止めていたため、健磐龍は太刀でナマズを切り、ようやく湖水は流れ去ったという。
作業にかかってください。
— posted by サイト管理者 at 11:14 am
ゆかりの深い教会
Fri 12 Dec’08
フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier または Francisco de Gassu y Javier, 1506年4月7日 - 1552年12月2日)は、カトリック教会の宣教師でイエズス会の創設メンバーの1人。1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名である。また、日本だけでなくインドなどでも宣教を行い、聖パウロを超えるほど多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれている。カトリック教会の聖人で、記念日は12月3日。
目次 [非表示]
1 名前について
2 生涯
2.1 青年期まで
2.2 東洋への出発
2.3 日本を目指し、そして到着
2.4 京都から山口へ
2.5 再びインドへ・ザビエルの最期
2.6 ザビエルと日本人
3 ザビエルの名を戴くカトリック教会・団体
3.1 日本国内の教会
3.2 日本国内の団体
3.3 日本国外の教会
3.4 ザビエルの名を冠していないが、ザビエルとゆかりの深い教会(日本国外)
4 ザビエルの銅像・記念碑等
4.1 日本国内
4.2 日本国外
5 ザビエルの名を冠した商品等
6 参考文献
6.1 一次史料
6.2 研究文献
7 脚注
8 関連項目
[編集] 名前について
ザビエルはバスク語で「新しい家」の意味であるEtxebarria(家 (etxe) + 新しい (barria))のイベロ・ロマンス風訛りで、彼の生家である城(ナバラ王国・現ナバラ州、バスク語ではナファロア王国)の名でもあった。ChavierやXabierreなどとも綴られることもあるが、Xavierはポルトガル語で発音はシャヴィエル。当時のカスティーリャ語でも同じ綴りで発音はシャビエルであったと推定される[1][2]。 現代スペイン語ではハビエル Javier。ただし、彼はバスク語及びナバラ語のバイリンガルだったと推定される。
かつて日本のカトリック教会では慣用的に「ザベリオ」(イタリア語読みから。サヴェーリョがより近い)という呼び名を用いていた(例:下記「聖ザベリョ宣教会」、「ザベリョ学院」)。その他日本では「サビエル」も用いられる(例:下記「山口サビエル記念聖堂」)[3]。
[編集] 生涯
[編集] 青年期まで
ザビエル城1506年4月7日生まれのザビエルは、現在のスペインのナバラ地方、パンプローナに近いザビエル城で地方貴族の家に育った。彼は5人姉弟(兄2人、姉2人)の末っ子で、父はドン・フアン・デ・ヤス、母はドーニャ・マリア・デ・アスピルクエタという名前であった。父はナバラ王フアン3世(フランス貴族アルブレ家の出である)の信頼厚い家臣として宰相を務め、フランシスコが誕生した頃、すでに60歳を過ぎていた。ナバラ王国は小国ながらも独立を保ってきたが、フランスとスペイン(カスティーリャ=アラゴン)の紛争地になり、1515年についにスペインに併合される。父フアンはこの激動の中で世を去った。その後、ザビエルの一族はバスク人とスペイン、フランスの間での複雑な争いに翻弄されることになる。
1525年、19歳で名門パリ大学に留学。バルバラ学院に入り、そこで自由学芸を修め、哲学を学んでいるときにピエール・ファーヴルに出会う。さらに同じバスクから来た中年学生イニゴ(イグナチオ・デ・ロヨラ)との出会いがザビエルの人生を変えることになる。ザビエルはイグナチオから強い影響を受け、俗世での栄達より大切な何かがあるのではないかと考えるようになり、聖職者を志すことになる。1534年8月15日、イグナチオを中心とした7人のグループは、モンマルトルにおいて神に生涯を捧げるという同志の誓いを立てた。その中にザビエルの姿もあった。これがイエズス会の起こりである。1537年6月、ヴェネツィアの教会でビンセンテ・ニグサンティ司教によって、ザビエルはイグナチオら5人と共に司祭に叙階される。彼らはエルサレム巡礼の誓いを立てていたが、国際情勢の悪化で果たせなかった。
参照させていただきます。
目次 [非表示]
1 名前について
2 生涯
2.1 青年期まで
2.2 東洋への出発
2.3 日本を目指し、そして到着
2.4 京都から山口へ
2.5 再びインドへ・ザビエルの最期
2.6 ザビエルと日本人
3 ザビエルの名を戴くカトリック教会・団体
3.1 日本国内の教会
3.2 日本国内の団体
3.3 日本国外の教会
3.4 ザビエルの名を冠していないが、ザビエルとゆかりの深い教会(日本国外)
4 ザビエルの銅像・記念碑等
4.1 日本国内
4.2 日本国外
5 ザビエルの名を冠した商品等
6 参考文献
6.1 一次史料
6.2 研究文献
7 脚注
8 関連項目
[編集] 名前について
ザビエルはバスク語で「新しい家」の意味であるEtxebarria(家 (etxe) + 新しい (barria))のイベロ・ロマンス風訛りで、彼の生家である城(ナバラ王国・現ナバラ州、バスク語ではナファロア王国)の名でもあった。ChavierやXabierreなどとも綴られることもあるが、Xavierはポルトガル語で発音はシャヴィエル。当時のカスティーリャ語でも同じ綴りで発音はシャビエルであったと推定される[1][2]。 現代スペイン語ではハビエル Javier。ただし、彼はバスク語及びナバラ語のバイリンガルだったと推定される。
かつて日本のカトリック教会では慣用的に「ザベリオ」(イタリア語読みから。サヴェーリョがより近い)という呼び名を用いていた(例:下記「聖ザベリョ宣教会」、「ザベリョ学院」)。その他日本では「サビエル」も用いられる(例:下記「山口サビエル記念聖堂」)[3]。
[編集] 生涯
[編集] 青年期まで
ザビエル城1506年4月7日生まれのザビエルは、現在のスペインのナバラ地方、パンプローナに近いザビエル城で地方貴族の家に育った。彼は5人姉弟(兄2人、姉2人)の末っ子で、父はドン・フアン・デ・ヤス、母はドーニャ・マリア・デ・アスピルクエタという名前であった。父はナバラ王フアン3世(フランス貴族アルブレ家の出である)の信頼厚い家臣として宰相を務め、フランシスコが誕生した頃、すでに60歳を過ぎていた。ナバラ王国は小国ながらも独立を保ってきたが、フランスとスペイン(カスティーリャ=アラゴン)の紛争地になり、1515年についにスペインに併合される。父フアンはこの激動の中で世を去った。その後、ザビエルの一族はバスク人とスペイン、フランスの間での複雑な争いに翻弄されることになる。
1525年、19歳で名門パリ大学に留学。バルバラ学院に入り、そこで自由学芸を修め、哲学を学んでいるときにピエール・ファーヴルに出会う。さらに同じバスクから来た中年学生イニゴ(イグナチオ・デ・ロヨラ)との出会いがザビエルの人生を変えることになる。ザビエルはイグナチオから強い影響を受け、俗世での栄達より大切な何かがあるのではないかと考えるようになり、聖職者を志すことになる。1534年8月15日、イグナチオを中心とした7人のグループは、モンマルトルにおいて神に生涯を捧げるという同志の誓いを立てた。その中にザビエルの姿もあった。これがイエズス会の起こりである。1537年6月、ヴェネツィアの教会でビンセンテ・ニグサンティ司教によって、ザビエルはイグナチオら5人と共に司祭に叙階される。彼らはエルサレム巡礼の誓いを立てていたが、国際情勢の悪化で果たせなかった。
参照させていただきます。
— posted by サイト管理者 at 06:55 pm














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